そろりと顔を出してみる [日記・雑感]
大層久しぶりに日記(雑記)形式の更新です。
なんか、こうやって書くの久々すぎて、勝手が分からなくなりすぎてて困ってます(笑)
ここ数週間、ちょっとリハビリと続けられるかのトライアルを兼ねて、なんの説明もコメントもないまま、徒然と自分の中にいることばを形にして吐き出してみました。
見ている方はどう思ったかはともかくとして、まあ、どれも概ねその時々の状態の中で漂っている生のことばを形にしてみたつもりです。
双極性の気分障害を長年患ってるだけあって、こころとからだの状態の揺らぎが普通の人よりかなり大きいので、ことばの中身も強さも向いてる方向も表現できるものも表現したい気持ちもその時々でがらりと変わります。
ほんと、自分でも一日前と一日後の自分が思考回路から身体状態までなにもかもが違いすぎて、同じ「私」であることが信じられなくなる時ありますもん(笑)
更に、自我というのは都合がよくできているもので、調子がよく前向きで強い自分を本当の自分だと思い、調子が悪く後ろ向きで弱い自分は本来の状態にないまがい物だと無意識に否定していたりするので(そしてその自己否定が自分を苦しめることにも繋がったりもするのですが…)、尚更同じ「私」とは認めたくないのかもしれません。
最近なんか突き抜けたので、更に上位の層からまあどっちもやっぱり自分かなと思えるようにはなりましたが、一昔前までは強い自分が優位にあって弱い自分の言葉は出したくないという気持ちに支配されていたような気がします。
まあ、そもそも状態が陰に切り替わっている時って、意識が外に向かないので、自分から外に発したいなんて思いませんしねー。
その時メモした言葉も陽の状態にある意識で見ると、まさに自分の恥部であって外に出したいなんて思えないから尚更です。
かくして、いままで何度も書こうとしては苦しくなって頓挫するを繰り返していたのですが(年初の更新もその1つです)、だいぶ自分の色々な状態のことばを自然と出してみようかと力を抜いて思えるようになってきたので、試しに1サイクルほど書いてみました。
結果はまあ…状態が悪いときはそもそも言葉をまとめたり外へ出したり虚無や面倒臭い気持ちに打ち勝って何かをしたりするエネルギーがなかったりするのでまとまり具合や更新頻度どうしても落ちてしまうのですが、その時にはその時なりに何かを表現しようとはできたかなあ、と思います。
なにより、自分の不安定に安定した循環のサイクルを1つ越えた今でも、こうやって何かを表現してみようとする想いが継続しているのが、自分にとってはかなり素晴らしいことだったりしています。
(実際には虚無感で途切れた瞬間はありましたが、再び芽吹かせることができているのが流れとしては良いですね)
このあたり、なぜ素晴らしく感じるのかは散文調になんとなく書き連ねたものがあるので、ちょっとご紹介。
(昨日更新するつもりで書きはじめて、書ききれないままお蔵入りになるとこだったので、もったいないから再利用です(笑))
ーーーーーーーー
不安定に安定した循環の移り変わり、
こころとからだが冬から春へと切り替わっていくこの時季は、
いつも自分の中の虚しさや怠惰な心といったものとせめぎあいになる。
前のサイクルで始めたことやこころの有りように審判が下るのも全てここ。
冬の間にすっかり停滞してしまった活動の1つ1つを再び活性化するにはかなり大きなこころのエネルギーが必要で、
常に
やっても意味などないのではないか、
このまま何もせずに流されている方が楽ではないか、
といった気持ちがこころに涌いては再び動き始めるのを阻害する。
始めた当初の決心や想いは冬の間にすっかり凍りつき砕けて保てなくなっていることが常であり、
ここで再び芽吹かせることができるか否かは、
こころの奥底の土壌が育まれているかどうかにかかっている。
想いの欠片が充分な栄養として染み込んでいるかにかかっている。
思いつきで始めてみたようなことは、まず再び芽吹かない。
強く決心をして始めてみたようなことでも、十中八九は越冬しない。
何度も頓挫し、よほど強く覚悟を決めることができたものになってようやく、
複数のサイクルにまたがって継続する芽を出すことができる。
普通の人でも、物事を習慣化するのに最低三週間は継続しなければいけないという。
三週間もあれば確実に循環のサイクルが一巡りはしているいまの自分の状態では、
物事を継続するのがいかに困難になっているか、
冷静に考えなくてもよく分かる。
それでも、普通の人の何倍もの時間をかけて、
少しずつ継続して芽吹くものが増えているのは、
喜ばしく、ありがたい事実である。
それによってこころの土壌も少しずつ豊かになり、
次の試行をできる範囲が少しずつ拡がっているのが実感として感じられるのだから。
果てしない循環の中、こころに何を根付かせていくべきか、
それを考えながら新しいサイクルを生きていこう
ーーーーーーーー
まあ、そういうことで、とりあえずまだしばらくは更新継続のチャレンジができそうです。
その時々の自分の状態に合わせて、散文だったり雑記だったり物語を紡いだり、まじめな話だったり何気ない日常の話だったり、時には絞り出した一言だけだったりもするかもしれませんが(ぉぃ)、自分の中からでたことばを徒然なるままに書いていこうと思いますので、よろしければ時々お付き合いくださいませ。
このまま安定してブログ表現ができるようになってきたら、FacebookやTwitterあたりまで、徐々に復帰できたらと考えておりますが、まあそれはまだ先の話。
しばらくはこれまでと同じく、継続して自分の足元を固めていこうと思います。
なんか、こうやって書くの久々すぎて、勝手が分からなくなりすぎてて困ってます(笑)
ここ数週間、ちょっとリハビリと続けられるかのトライアルを兼ねて、なんの説明もコメントもないまま、徒然と自分の中にいることばを形にして吐き出してみました。
見ている方はどう思ったかはともかくとして、まあ、どれも概ねその時々の状態の中で漂っている生のことばを形にしてみたつもりです。
双極性の気分障害を長年患ってるだけあって、こころとからだの状態の揺らぎが普通の人よりかなり大きいので、ことばの中身も強さも向いてる方向も表現できるものも表現したい気持ちもその時々でがらりと変わります。
ほんと、自分でも一日前と一日後の自分が思考回路から身体状態までなにもかもが違いすぎて、同じ「私」であることが信じられなくなる時ありますもん(笑)
更に、自我というのは都合がよくできているもので、調子がよく前向きで強い自分を本当の自分だと思い、調子が悪く後ろ向きで弱い自分は本来の状態にないまがい物だと無意識に否定していたりするので(そしてその自己否定が自分を苦しめることにも繋がったりもするのですが…)、尚更同じ「私」とは認めたくないのかもしれません。
最近なんか突き抜けたので、更に上位の層からまあどっちもやっぱり自分かなと思えるようにはなりましたが、一昔前までは強い自分が優位にあって弱い自分の言葉は出したくないという気持ちに支配されていたような気がします。
まあ、そもそも状態が陰に切り替わっている時って、意識が外に向かないので、自分から外に発したいなんて思いませんしねー。
その時メモした言葉も陽の状態にある意識で見ると、まさに自分の恥部であって外に出したいなんて思えないから尚更です。
かくして、いままで何度も書こうとしては苦しくなって頓挫するを繰り返していたのですが(年初の更新もその1つです)、だいぶ自分の色々な状態のことばを自然と出してみようかと力を抜いて思えるようになってきたので、試しに1サイクルほど書いてみました。
結果はまあ…状態が悪いときはそもそも言葉をまとめたり外へ出したり虚無や面倒臭い気持ちに打ち勝って何かをしたりするエネルギーがなかったりするのでまとまり具合や更新頻度どうしても落ちてしまうのですが、その時にはその時なりに何かを表現しようとはできたかなあ、と思います。
なにより、自分の不安定に安定した循環のサイクルを1つ越えた今でも、こうやって何かを表現してみようとする想いが継続しているのが、自分にとってはかなり素晴らしいことだったりしています。
(実際には虚無感で途切れた瞬間はありましたが、再び芽吹かせることができているのが流れとしては良いですね)
このあたり、なぜ素晴らしく感じるのかは散文調になんとなく書き連ねたものがあるので、ちょっとご紹介。
(昨日更新するつもりで書きはじめて、書ききれないままお蔵入りになるとこだったので、もったいないから再利用です(笑))
ーーーーーーーー
不安定に安定した循環の移り変わり、
こころとからだが冬から春へと切り替わっていくこの時季は、
いつも自分の中の虚しさや怠惰な心といったものとせめぎあいになる。
前のサイクルで始めたことやこころの有りように審判が下るのも全てここ。
冬の間にすっかり停滞してしまった活動の1つ1つを再び活性化するにはかなり大きなこころのエネルギーが必要で、
常に
やっても意味などないのではないか、
このまま何もせずに流されている方が楽ではないか、
といった気持ちがこころに涌いては再び動き始めるのを阻害する。
始めた当初の決心や想いは冬の間にすっかり凍りつき砕けて保てなくなっていることが常であり、
ここで再び芽吹かせることができるか否かは、
こころの奥底の土壌が育まれているかどうかにかかっている。
想いの欠片が充分な栄養として染み込んでいるかにかかっている。
思いつきで始めてみたようなことは、まず再び芽吹かない。
強く決心をして始めてみたようなことでも、十中八九は越冬しない。
何度も頓挫し、よほど強く覚悟を決めることができたものになってようやく、
複数のサイクルにまたがって継続する芽を出すことができる。
普通の人でも、物事を習慣化するのに最低三週間は継続しなければいけないという。
三週間もあれば確実に循環のサイクルが一巡りはしているいまの自分の状態では、
物事を継続するのがいかに困難になっているか、
冷静に考えなくてもよく分かる。
それでも、普通の人の何倍もの時間をかけて、
少しずつ継続して芽吹くものが増えているのは、
喜ばしく、ありがたい事実である。
それによってこころの土壌も少しずつ豊かになり、
次の試行をできる範囲が少しずつ拡がっているのが実感として感じられるのだから。
果てしない循環の中、こころに何を根付かせていくべきか、
それを考えながら新しいサイクルを生きていこう
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まあ、そういうことで、とりあえずまだしばらくは更新継続のチャレンジができそうです。
その時々の自分の状態に合わせて、散文だったり雑記だったり物語を紡いだり、まじめな話だったり何気ない日常の話だったり、時には絞り出した一言だけだったりもするかもしれませんが(ぉぃ)、自分の中からでたことばを徒然なるままに書いていこうと思いますので、よろしければ時々お付き合いくださいませ。
このまま安定してブログ表現ができるようになってきたら、FacebookやTwitterあたりまで、徐々に復帰できたらと考えておりますが、まあそれはまだ先の話。
しばらくはこれまでと同じく、継続して自分の足元を固めていこうと思います。
2013-10-01 12:24
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