SSブログ
日記・雑感 ブログトップ
前の10件 | -

謹賀新年 [日記・雑感]

新年明けました。
おめでとうございます。

幸い、blogを書いていこうという想いをなくさず、胸に抱えて新しい年を向かえることができました。
去年は休息からのリハビリというかウォーミングアップみたいな年でしたが、再び潰れることなく2014年を迎えられたということで、今年は地固めを引き続き行いながら、少しずつ、無理のないペースで活動の幅を広げていこうと思ってます。

とりあえずはこの前ちこっと書いた『奏星記』の執筆と発表からかな。
近いうちにブログかどこかで第一段を載せていこうと思いますので、気が向いたら読んでやってくださいませ^^/

あと、今年はどっかのタイミングでFacebookの復帰もしてみようと思ってます。
時間の配分がうまくいくかは分からないんで、Twitterに関してはまだ先かな…

リアルに関しても少し顔出す場や活動自体を増やしていければいいなと思いますね。


新年、ということで、今年の目標というか、改めて人生の目標として力を入れていきたいことは以下。

「未来への道を創っていく」


自分の未来、苦しんでいる人たちの未来、子供たちの未来、人間の未来、生命の未来、地球の未来、宇宙の未来…

大風呂敷を広げることにはなりますが、やはり自分の本質は求道者なので、

生きるとはなんだろう、

存在するとはどういうことだろう、

この世界とそこに存在する凡てのためにいったい何ができるだろう…

といった、自分にとって関心のあるテーマをとことん突き詰めて物語っていきたいと思います。

自分も含めていまの社会の価値観や仕組みに馴染めずこぼれ落ち、人生に迷っていたり、自分自身の醜さや空虚さに苦しんでいる人たちのために、今とは違う未来へ繋がる道の可能性を物語っていくこと。

この世界が、そして人間や生命の未来がこの先一万年続くために、いまいったい何を考えて何を大切にしてどんな行動をしていかなければいけないか、それを見つけていきたいところ。

そして見つけたものは物語の中にこめて。

それをきちんと物語れるよう、表現することに関するスキルアップや自分自身を磨くこともやっていかなきゃいけないし、先は相当長い長い。

とはいえもう、こころを決めて歩き始めてしまったので、ゆっくりでも一歩ずつ、苦しんだり楽しんだりしながら歩んでいこうと思います。

今年は活動の幅を広げながら、疲弊せずに続けられるよう、自分にあった歩むペースを見出だしていく年になるのかな。


とりあえずそれを目指し、軸となるであろうこころの深淵の探究は、今年も続けていくことになるでしょう。
そこで得たあるいは喪ったあれこれは、またここで書いていくことになると思いますので、興味ある人がいたら時折覗いてみてください。
不定期ですが数日に一度ぐらいは更新していきたいところですな。うん。

つーこって、躁の私も、鬱の私も、今年もお付き合いどぞよろしく。
こころの深淵について、色々と教えてくださいね(笑)

次のステップ [日記・雑感]

ブログ更新が随分と久しぶりになってしまいました。
11月から徐々に更新間隔が開きぎみになっていましたが、ブログを始めてから2度の躁鬱サイクルを抜けて、当初のモチベーションがかなり曖昧になっていることは否めません^^;

ここらで再度、仕切り直しをしておかないと、本当にずるずる更新しなくなってしまいそうなので、想いを新たに自分に活を入れて書きたいことを書いていこうと思います。

とりあえず、だいぶ更新する感覚も取り戻せてきたので、鬱や想うことの話題だけでなく、いまのこころの有り様を元に再度書き直しをしている小説の方も、そろそろ載せていきたいな。

ブログに直に載せるか、どこか別の小説投稿サイトに発表してリンクを載せる形にするかは分かりませんが、徐々にお目見えしていきたいところですね。

簡単に紹介すると、題名は『遥かなる星々の物語~ウェヌスの章~』改め『奏星記』。
登場人物や世界観はブログのリンクにあるやつと基本的には変わりませんが、キャラプロフィールとして発表した細かい設定などは少し変化しています。

この世界の全てを生み出した女神の住まう天を描く「楽園」、地球上にかつて存在した(或いはこれから存在する)高度な精神文明社会を描く「冥星」、そして等身大の現実社会を描く「地球」の3部構成で紡がれるファンタジーなのは前と変わらず。
もしかしたら舞台数はもっと増えるかもしれません(ぇ?
#まあ、こればっかりは言霊さんに聞いてみないと分かりませんが^^;

テーマは「生命の連なりと魂の成長」、ですかね。
育むこと、育てること、成長することーー苦しみが多いこの世界で、存在する意味はどこにあるのか、そして苦しみから解き放たれる道はどのようなものなのか、それを深める形になると思います。

まあ、いまの私が書くものなので、当然のことながら私自身の鬱の経験が散りばめられた痛々しいものになってくるのですが^^;、それぞれに問題を抱えながら、悩み、苦しみ、道を模索しながら生きる登場人物たちの姿をきちんと描いていけたらな、と思ってます。

自分で言うのもなんですが、読みごたえのあるものになる、はずです!

ただ、問題は、それを描ききるにはまだまだ私自身の技量や感覚が未熟なところにあるのですが、そればっかりは日々精進していくしかないですな^^;;

私のライフワークである「地球と生命と人間の物語」を描く、壮大なストーリーになるのは間違いないところ。
まだまだ冒頭部分を少ししか書き進められてはいませんが、どれだけのものになるか、自分でも予想がつかないです(ぉぃ

まあとりあえず、納得がいくまで精一杯物語を紡いでいってみようと思ってます。

私のなかに訪れてくる物語たちに少しでも命を吹き込んで、誰かに読んでもらえたら嬉しいところですねー。

楽しみにしてくれる人がいるかは分かりませんが、例え読んでくれる人が一人もいなくても、彼らと自分のために、次のステップとしてこれはやっていこうと思います。

普段の更新に交えて、これから徐々に発表していきますので、気が向いたらよろしければご一読ください☆

秋が好き! [日記・雑感]

自分は秋が好きだったんだなぁ~、

と、最近唐突に気付きました(笑)


今まで一番好きな季節は春のように思っていたのですが、ここ最近秋を満喫できる空気の中を過ごしてみて、

ああ、この季節のこの空気感やしっとりと色づいて落ち着く雰囲気が大好きなんだ

と得心したというかなんというか。

春は春であの華やかで表情豊かな気分が高揚する感じが好きなのですが、どうもそれ以上に秋のこの落ち着いた空気感や実りの豊かさが自分の中には心地好く響いているようです。

たぶんこれって、私の性質自体が秋の傾向が強く出ているからなんでしょうね。
前に思索を深めるには秋の季節が一番だと言いましたが、からだの秋も季節の秋も、やっぱり何かを結実させる性質が強くあるような気がします。

そう考えると、人がどの季節を一番心地好く感じるかは、その人がどんな性質を強く持っているかによってくるのかもしれません。

多分ですけど、経営者やリーダータイプでエネルギッシュに活動してる人は夏が一番落ち着くし、慎み深く静かで一人の時間に浸るのが好きな人は冬が一番落ち着くんじゃないかな。


いまは地球温暖化の影響か、気候の変動が激しくなってあんまり秋らしい秋が体験できませんが、それでも9月あたりから徐々に朝や夕方の空気の感触や匂い、肌を撫でる風の涼やかさ、雲の感じや動きなんかが秋めいてきて、「ああ、秋だなあ…」としみじみ思って嬉しくなっていました。

街を歩いていても、コンクリートジャングルの中にあるちょっとした茂みの中から虫たちの声や合唱が聴こえたり、木々が実をつけて少しずつ熟れていく様が見られたり、身近なところでも意識して見れば意外と秋って転がってるんですよね。

人間が如何に季節感をなくそうと、そんなことはおかまいなく、自然や生き物たちは立派に秋のリズムを刻んでいるんだなぁ、と。

童謡ではありませんが、小さな秋を見つけるのがこの秋の密かな趣味みたくなってました(笑)


…というような話を「今年は秋なんてほとんどなかった」と言っていた前の会社の後輩たちにしてみたら、「朝会社に行って夜帰るだけの生活してるから、そういうことは考えもしなかった」とか言われました。
「そういう話を聞くと、なんか凄い人生損しているなあって気分になる」とも^^;

確かに自分も意識してこういう風に外の世界を感じるようになったのはここ数ヵ月ぐらいのことだし、会社勤めをしてた頃は街の飾り付けの変化などで季節の移り変わりを見ることはあっても、自然や生き物たちの変化を感じることはほとんどなかったなあ…と、それを聞いてしみじみと思いました。
だからこころが潤いをどんどん失って、最後には病気という形にまで結実したのかもしれないなあ、とも。

実際、いまのストレスフルな社会では色々なものを感じないように感覚をうちに閉じて生活せざるを得ないところがありますからね。


この、季節を感じる感性だけでなく、色々なものを感じる感性やこころの余裕がなくなっているところに、いまの社会や人々が抱える大きな問題の1つがあるような気はします。

これはとりもなおさず、人が世界と繋がれなくなった、ということを示しているわけで、その事実が示すものは非常に大きいのではないか、と。

なにせ人は何万年もの間(生物としての連なりで見たら何億年もの間)、自然のリズムをからだに取り込みながら生きてきたわけで、人間を人間たらしめていた大事な何かが、そのなかには存在してもおかしくないと思うのです。

人のこころの成り立ちやその動きにも関係していないはずはありません。

ここ数百年ぐらいで激しく社会や生活が変わり、人間が自然から切り離されたリズムで生活できるようになりましたが、数万年かけて培った人間の基礎にある自然のリズムやそこから派生してきたこころとからだの仕組みが、短期間で変化することはそうそうないのではないかと思うのです。

頭の中の知識や常識や価値観や概念は凄い早さで変化し発展し適応していきますが、生体としての人間のこころとからだは幾世代も経ないと変化をしていかないので、その早さについていけてない。
そんな壁にぶち当たっているような気がします。


そういう意味で、いまは人間が新たに獲得した生活様式と、もともと持っていた生体としての仕組みが折り合わず、きしんでいる時代であると言えるかもしれません。

このまま生体の仕組みを無理矢理人間の社会の方式に合わせていく道をとるか、社会や生活の方式をもう少し生体の仕組みに合うものに変えていく道をとるか。
いまの人のこころの問題を見るに、その分岐点に差し掛かっている感じもひしひしとしてきます。

前者をとれば人は千から万年単位の年月をかけて、多くの犠牲と苦しみと落伍者の果てに少しずつ、自然から切り離された環境に適応した生体(こころとからだ)を持つ人間を産み出していくでしょう。

あるいはもっと手っ取り早く、生体を捨てて、脳の中の情報のみで生きる道を選択するかもしれません。(SFの未来像によくありますよね。つか、いまの社会の流れはこちらに向かって進んでいるような気がしてならないのは気のせいかしら?^^;)

どちらにしてもそれは多分、いまの私たちからしてみたらまったく異質な精神と身体の構造を持つ存在に変化していることは想像に難くありません。
(だって、いまの人間のこころの在りようを規定するからだのメカニズムが脱自然の方向へ変化する以上、祖の上に成り立つ精神が今と同じになるというのは明らかに変でしょう?)

想像の翼を広げてみるに、いまの社会で非人間的と言われているこころの在りようがベースとなって発展した精神が生まれてくるのではないかと思ったりもするわけです。
いや、だって、人間らしいこころを封印してしまった方が、いまの社会って明らかに生きやすくないですか?
それをベースにますます脱自然へと発展させていくとしたら、ほら…^^;


…まあ、本当にそうなるかどうかは分かりませんが、このあたり、凄くそそられるテーマなので、なんとなく思索を深めて物語にしてみたいような気がします。
なんというか、もの書きの血が騒ぐ(笑)


つか、秋が好きって話からなんでこんなネタに話が発展したんだっけ?^^;

まあ色々つらつらと考えてみた秋の夜長でした。

ではまた!

秋の訪れ [日記・雑感]

ここのところ、またからだが変化しているのを感じます。
今度は季節で言えば秋の変化。活動期から停滞期へ至る過渡期になります。

この時季は意識の主体はまだ活動期の側にありますが、次第に何をするにも少し気合いが必要になり、ことばも思考もなかなかまとまり辛くなり、身体は少しだるく重く疲れ易く、スタミナ不足の状態のように動かし続けるのもおっくうになります。
自分ではまだまだいけるつもりでいるため、意識とこの身体感覚とのギャップにあれれ…となり、焦りや不安も出てきます。
ちょうど、からだはまだ若いつもりの中年の人が運動とかして現実に直面するときの意識に似ているかもしれません(笑)

ちょっとしたことで停滞する意識を呼びやすく、疲れたりおっくうさを感じたからといって、休みを自分に与えたりすると、そのままずるずる引きずられてその日はもう能動的には何もできなくなることもしばし。
(でも次の朝になればまた状態は回復するところは完全停滞期とはやはり違います)

この時季、きちんと時間を使いたいと思ったら、常に生じてくるこころのおっくうさとの葛藤に飲み込まれないようにしながら、何かをやろうという強い意思を働かさせるのが重要になります。
まあ、これは言うほど容易くなく、私なんか連敗街道まっしぐらであったりするんですけどねー。

これをまともに過ごすことができるようになれば、もう少し健常人らしいリズムになるような気はするんですが、なかなかまだ遠そうです。
(実際、健常人っぽくなりたいかはまた別の話がありますが^^;)

不安定ではありますが、この時季はその分情緒が増すというか、2つの異なる意識の境界が曖昧になって混ざり合うため、ものを見て聞いて感じる能力は増しているような気はしています。
思考が大雑把になりすぎることもなく、自分を責めるように働いてしまうこともないため、普通の秋と同じく、物思うには最適の時季のように思います。

ただ、表現する能力も同時に落ちる傾向はあるので、それをなかなか表に表せないのがもどかしいところですが^^;

この時季、不活発に落ちるのは簡単すぎるほどに簡単です。
とはいえそこで簡単に停滞してしまっては、この時季の魅力を存分に味わえないのもまた事実。

短いこの秋の実りを自分の中にもたらすために、ここはしばし、自分の中に生じてくるおっくうさを何とか回避しつつ生活してみようと思います。


……とりあえず、このブログはおっくうさに屈することなくなんとか書けたぞ(笑)

血の通ったことば [日記・雑感]

ここ最近、3日に1回程度の更新に落ち着いてきました。
なるべく毎日何か更新したいなあ…という思いはあったのですが、どうもこれくらいの間隔の方がペース的には楽に更新できるようです。

こころとことばの力が満ちるまでに、現状それくらいかかっているということかもしれません。

いやね、何かこういうことを書きたいなと思って何か書き始めたりはしているのですが、途中でまとまらなかったり書き進められなかったりすることが結構あるんですよ。
だいたい3回に2回ぐらいはそうかもしれません。

そういう時、無理に吐き出すこともできるのですが、だいたいそれってどっかで聞き齧ったことを頭で考えて繋げてしまっているだけで、自分の感覚から生まれたことばにはなってなかったりするんですよね。

昔はそれでも無自覚に「自分の考えをまとめた」みたいに思い込んでいたりもしていたのですが、いまは、そのような自分自身の中にきちんと吸収して溶け込んでいないものを無責任に語ることは、こころが許してくれないみたいです^^;

いや、ほんと、自分のことばを持つというのは難しいですね。
これはとりもなおさず単なる知識や感想ではない、自分自身の意見を持つということと同義だからかもしれません。

自分の感覚に耳を澄まして、自分の中から生まれてくることばできちんと考えをまとめていかないと、本当の意味で自分のことばで物事を語ることはできません。

それがどれほど拙いことばであっても、どれほど世間の価値観からはずれていたとしても、自分のことばで語る限り、それは自分から生まれたものだと自信を持って言うことができますし、それ故そのことばに対して責任感も生まれます。
そのことばに対し、否定的な意見があったとしても、それを元に更に自分の感覚を深めてことばを紡ぐことができてきます。

自分のように人の目や評価を気にして不安や恐怖が強くなってる状態で、それでも外に向かって表現しようと思ったら、その不安と恐怖に打ち克ち跳ね返せないとだめなわけで、そういう意味でいまの自分のことばを模索する状態は必然なのかなとも思ってます。
表層的な言葉ではその不安と恐怖に打ち克つことはできませんからねー。

いやほんと、こうやって何かしらか言葉にしてみるというのはいいリハビリになってます。

自分自身の感覚を育て、いまの状態や中で色々渦巻いていたものを深く掘り下げていくのに、とても役立っていると感じてます。

まあ、読んでいる人には全く興味ないことかもしれませんけどねー。
それこそ、そんなところにおもねって自分を見失ってもしょうがないわけで。


この世の中で見失ってはいけない大切なことをきちんとことばにできるよう、少しずつ自分のことばを育てて書き表していければと思います。

書ききれずにいったん塩漬けにしたものも、そのうちちゃんと最後まで書けるといいな。

まとまりないまま書いてみる [日記・雑感]

ここのところ、どうにも低調子の日々が続いてます。

もともと停滞期から活動期に切り替わる途上は、通常の春の入りと同じく三寒四温で行ったり来たりしがちではあるのですが、今回はどうにもエネルギーが足りないというか、こころの障壁を越えきれないというか、めんどくささと虚しさの感情が勝ちがちで困ります。

この状態だと考えも発散ばかりでまとまりづらいし、言葉をまとめるのも考えただけでめんどくさいし、そもそもモチベーションだって虚しさと自己否定に負けてなくなりがちなので、ブログ更新も滞ります。

前回ああ書いてみた以上、あまり時間はあけたくないなあ…とかいう思いがあるので、ちとばかし不本意な状態です。

まあ、こう思ってしまうことがもう、何か勝手に気負っちゃってる状態で、それが必要以上にこころとからだを縛りあげて、身動きとれなくさせている、というのは分かっちゃいるんですけどねー。
(うつ側に傾いている時には非常に良くあるこころの有りようです)

たぶん、前回、少し顔を出して書いたことで、(その先にいるかもしれない)人の目を気にするこころが出てきてしまったのが大きいんでしょうね。

以前より大分改善されたとはいえ、人の目に触れさせるからには形のできあがった、意味あるものを見せなければならない、という強迫観念に近い防衛本能がまだまだ強いので、意識してしまったことで身構えてしまったんでしょう。

つーことなのでとりあえず、身をほぐすためにもここは深く考えず、まとまりがなくても意味がなくても面白みも何もなかろうとも、つらつらと現状を綴ってみた次第。

んで、こうやって徒然にでも意味ない独り言を綴っていると、なんか思考にまとまりが出てきて調子も少し上向くから不思議不思議。

まあうつ的な頭の使い方をしてる時は頭全体が不活性な冬眠状態に近いエネルギー準位に下がっているようなので、無理矢理にでも言語野を活性化させることで少し活が入るんでしょうな。

ついでに言えば私が普段、私と認識している「私」は、言語によって形造られる内的空間に非常に深く相関している感じがするので、言語野に活を入れて「私」を苦しめているもやもやした感覚を言葉にすることで、「私」自身が少し上向いた感じがするのは当然の帰結であるのかもしれません。

私が私と思う私が何者でどこにどのように存在(偏在)して何のために在るものなのか、これは最近よく考えてしまう興味の尽きないテーマだったりするんですが、まあ、そこまで話を広げていってしまうといくら時間があっても足りなくなるので、また気が向いた時にでもつらつら書いてみることにいたしましょう。

とりあえずいまは夜勤明けなので、つらつら書いて上向いたところで、きちんとからだを休めてこころの回復力を高めようと思います。

ぐっすり意識を休められるといいな。

それではまた~


そろりと顔を出してみる [日記・雑感]

大層久しぶりに日記(雑記)形式の更新です。
なんか、こうやって書くの久々すぎて、勝手が分からなくなりすぎてて困ってます(笑)

ここ数週間、ちょっとリハビリと続けられるかのトライアルを兼ねて、なんの説明もコメントもないまま、徒然と自分の中にいることばを形にして吐き出してみました。

見ている方はどう思ったかはともかくとして、まあ、どれも概ねその時々の状態の中で漂っている生のことばを形にしてみたつもりです。

双極性の気分障害を長年患ってるだけあって、こころとからだの状態の揺らぎが普通の人よりかなり大きいので、ことばの中身も強さも向いてる方向も表現できるものも表現したい気持ちもその時々でがらりと変わります。

ほんと、自分でも一日前と一日後の自分が思考回路から身体状態までなにもかもが違いすぎて、同じ「私」であることが信じられなくなる時ありますもん(笑)

更に、自我というのは都合がよくできているもので、調子がよく前向きで強い自分を本当の自分だと思い、調子が悪く後ろ向きで弱い自分は本来の状態にないまがい物だと無意識に否定していたりするので(そしてその自己否定が自分を苦しめることにも繋がったりもするのですが…)、尚更同じ「私」とは認めたくないのかもしれません。

最近なんか突き抜けたので、更に上位の層からまあどっちもやっぱり自分かなと思えるようにはなりましたが、一昔前までは強い自分が優位にあって弱い自分の言葉は出したくないという気持ちに支配されていたような気がします。

まあ、そもそも状態が陰に切り替わっている時って、意識が外に向かないので、自分から外に発したいなんて思いませんしねー。
その時メモした言葉も陽の状態にある意識で見ると、まさに自分の恥部であって外に出したいなんて思えないから尚更です。

かくして、いままで何度も書こうとしては苦しくなって頓挫するを繰り返していたのですが(年初の更新もその1つです)、だいぶ自分の色々な状態のことばを自然と出してみようかと力を抜いて思えるようになってきたので、試しに1サイクルほど書いてみました。

結果はまあ…状態が悪いときはそもそも言葉をまとめたり外へ出したり虚無や面倒臭い気持ちに打ち勝って何かをしたりするエネルギーがなかったりするのでまとまり具合や更新頻度どうしても落ちてしまうのですが、その時にはその時なりに何かを表現しようとはできたかなあ、と思います。

なにより、自分の不安定に安定した循環のサイクルを1つ越えた今でも、こうやって何かを表現してみようとする想いが継続しているのが、自分にとってはかなり素晴らしいことだったりしています。
(実際には虚無感で途切れた瞬間はありましたが、再び芽吹かせることができているのが流れとしては良いですね)

このあたり、なぜ素晴らしく感じるのかは散文調になんとなく書き連ねたものがあるので、ちょっとご紹介。
(昨日更新するつもりで書きはじめて、書ききれないままお蔵入りになるとこだったので、もったいないから再利用です(笑))


ーーーーーーーー
不安定に安定した循環の移り変わり、
こころとからだが冬から春へと切り替わっていくこの時季は、
いつも自分の中の虚しさや怠惰な心といったものとせめぎあいになる。

前のサイクルで始めたことやこころの有りように審判が下るのも全てここ。
冬の間にすっかり停滞してしまった活動の1つ1つを再び活性化するにはかなり大きなこころのエネルギーが必要で、
常に
やっても意味などないのではないか、
このまま何もせずに流されている方が楽ではないか、
といった気持ちがこころに涌いては再び動き始めるのを阻害する。

始めた当初の決心や想いは冬の間にすっかり凍りつき砕けて保てなくなっていることが常であり、
ここで再び芽吹かせることができるか否かは、
こころの奥底の土壌が育まれているかどうかにかかっている。
想いの欠片が充分な栄養として染み込んでいるかにかかっている。

思いつきで始めてみたようなことは、まず再び芽吹かない。
強く決心をして始めてみたようなことでも、十中八九は越冬しない。
何度も頓挫し、よほど強く覚悟を決めることができたものになってようやく、
複数のサイクルにまたがって継続する芽を出すことができる。

普通の人でも、物事を習慣化するのに最低三週間は継続しなければいけないという。
三週間もあれば確実に循環のサイクルが一巡りはしているいまの自分の状態では、
物事を継続するのがいかに困難になっているか、
冷静に考えなくてもよく分かる。

それでも、普通の人の何倍もの時間をかけて、
少しずつ継続して芽吹くものが増えているのは、
喜ばしく、ありがたい事実である。
それによってこころの土壌も少しずつ豊かになり、
次の試行をできる範囲が少しずつ拡がっているのが実感として感じられるのだから。

果てしない循環の中、こころに何を根付かせていくべきか、
それを考えながら新しいサイクルを生きていこう
ーーーーーーーー


まあ、そういうことで、とりあえずまだしばらくは更新継続のチャレンジができそうです。

その時々の自分の状態に合わせて、散文だったり雑記だったり物語を紡いだり、まじめな話だったり何気ない日常の話だったり、時には絞り出した一言だけだったりもするかもしれませんが(ぉぃ)、自分の中からでたことばを徒然なるままに書いていこうと思いますので、よろしければ時々お付き合いくださいませ。

このまま安定してブログ表現ができるようになってきたら、FacebookやTwitterあたりまで、徐々に復帰できたらと考えておりますが、まあそれはまだ先の話。

しばらくはこれまでと同じく、継続して自分の足元を固めていこうと思います。

再始動 [日記・雑感]

新年明けましておめでとうございます。

早いものでもう2013年、前回日記を書いてからもう1年近くも経ってしまいました。本当に歳月の経過はあっという間です。

去年の抱負でも今年こそはblogを再開したいといったことを書いたような気がしますが、実現できないまま1年過ぎてしまいました…^^;
どうもまだまだ病気の爪痕は大きく深く、表に自分をさらけ出すのに強い心理障壁と恐怖心があるようてます。

今でもまだそれは心に強く巣喰い、払拭できてなどいないのですが、そろそろ勇気を出して再び進み出すべき時がきていると感じておりますので、年が改まったのを契機にずるずる先伸ばしにするのをやめて表舞台に復帰してみることにします。

まずはこのblogをメインに、少しずつネット活動の幅を広げてTwitterやfacebookなどにも顔を出していこうかなと考えておりますので、見かけることなどありましたらよろしく絡んでやって下さいませ。

まあしばらくは、blogをしっかりと書くことに集中していくことにします。心のリハビリしていかなきゃなりませんしね^^;

しかしながら、人の心の複雑怪奇さには毎度驚嘆させられるばかりです。
心の迷宮は広く深く限りない複雑さで、一つ何か見えたと思ったらまた次の猊を見せてくる。
自分のものでありながら一番自分自身が解らない。一番身近な最大の謎。本当に識り得ないことだらけです。

前にある人に「心の迷宮はあまり探究してはいけないのではないか」と言われたことがありますが、どうも私は、この迷宮にすっかりと魅入られ、最後まで踏破していきたいと望んでいるみたいです。
それこそ自分でも覗けない、心の迷宮の奥底で^^;

考えてみたら、私はずっと人が目を背ける心の深淵の更に奥底を見つめようとする人生を選択してきたように思います。
自分自身が心に畸型を抱いていることは、いつの頃からかこれ以上ないリアルとして認識していました。
まぎれもない自分自身であるその畸型を、自分自身が受け入れ、認めるために、顔を背けながらも向き合い理解しようとあがいているのでしょう。
それが一生かかろうと、決して辿り着けない道の先にしかない答えであろうと、少しでもその道を究めていくことが自分の人生の目的である、と今の私は思います。

人生の4分の1以上を心の病と共に過ごし、健康だった頃には思いもよらなかった心世界を旅するようになったのも、私にとっては必然だったのかもしれません。
決して繰り返すことはしたくはない苦しい時間ではありますが、体験することにより初めて見えるもの、見えてきたものがあるのは紛れも無い事実です。
この体験こそ、この先私が心の深淵を旅し理解し解体していく際の一つの足掛かりになるのは間違いないことでしょう。

そのためにも、あまりに直接的すぎるこの体験を客観化し、解体していくプロセスに、この一年は取り組んでみるつもりです。

そのことも含め、また何やかんやとblogで発信していきたいと思っておりますので、よろしければお付き合いくださいませ。

すっかりと長くなってしまいましたが、年始の挨拶と今後の抱負にかえまして。
それでは今年もよろしくお願いします。

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

明けました [日記・雑感]

もう新年一週間以上経ってしまってますが、明けましておめでとうございます。
大変ご無沙汰しています高波です。

考えてみれば一年近くもblogを更新してなかったんですね><
去年は自分の至らなさから色々な人に迷惑をかけてしまった一年でした。
なかなか創作にあてる時間も精神状態も作れず、悔しい思いをしたこともしばしば。

最近ようやくちょっとずつ落ち着いてリズムを作れてきたので、こうやって復活してきました。
今年はぼちぼちblogも更新していきます。
一年以上もお休みしていたおかげでblogに書いていきたいこととかこのblogの方向性とか色々と伝えたいことは溜まっているのですが、まあ無理してもまたぽしゃってしまいそうなので、自分のリズムで徐々にやっていきたいと思います^^;

とりあえず今までのような長編をどんと一括で出すのではなく、もっと断片的なピースの投稿や日々心をよぎった言葉の投稿が増える予感。
もち、長編もやっていきますけどね。
この苦しんだ二年間で得たものを色々出していきますわ~。

まあそんなこんなでまたリスタートしていきますんで皆々様どぞよろしく^^/
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

記事カテゴリ色々整理しました♪ [日記・雑感]

こんばんは。高波です。

ここ1年、以前ほど頻繁にレビューや日記を書かなくなっていたことと、今後のこのブログの活動の方向性を見据えて、ちょっとカテゴリを整理してみました。
古いカテゴリを全部「日記・雑感」に吸収してかなりコンパクトになった感じ^^;

とりあえず今後は次のようにしてみようと思ってます。

日記・雑感:日々思ったこと、考えたこと、ボウリング、レビュー等分類されない記事を入れるカテゴリ
宇宙病:自分がうつ病の最中にあって思ったことあれこれ
ことのは:自分が心を揺り動かされた珠玉の言葉たち
同人:同人活動に関するあれこれ、スペース告知など

・以下、作品カテゴリ
贄神:贄神シリーズ
遙かなる星々の物語:遙かなる星々の物語シリーズ
パム日記:パムの冒険日記♪
心の闇の探求:修論公開用
物語のかけらたち:一つの話になるには少なすぎる物語の断片、アイデア、設定ノートなど

作品カテゴリは新たなシリーズを始めたらその都度追加していく予定~


とりあえずこれからは、新たに加わった「宇宙病」「ことのは」「物語のかけらたち」のカテゴリを主にして、こまめな更新・・・というか発信をちょっと頑張ってみます。

まあたまに完全にくたばって更新が途絶えることがあるとは思いますが、そんな時は復活するのを生暖かい目で見守っていてくださるとありがたいです♪

ということでみなさんお楽しみに~^^/
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog
前の10件 | - 日記・雑感 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。