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秋が好き! [日記・雑感]

自分は秋が好きだったんだなぁ~、

と、最近唐突に気付きました(笑)


今まで一番好きな季節は春のように思っていたのですが、ここ最近秋を満喫できる空気の中を過ごしてみて、

ああ、この季節のこの空気感やしっとりと色づいて落ち着く雰囲気が大好きなんだ

と得心したというかなんというか。

春は春であの華やかで表情豊かな気分が高揚する感じが好きなのですが、どうもそれ以上に秋のこの落ち着いた空気感や実りの豊かさが自分の中には心地好く響いているようです。

たぶんこれって、私の性質自体が秋の傾向が強く出ているからなんでしょうね。
前に思索を深めるには秋の季節が一番だと言いましたが、からだの秋も季節の秋も、やっぱり何かを結実させる性質が強くあるような気がします。

そう考えると、人がどの季節を一番心地好く感じるかは、その人がどんな性質を強く持っているかによってくるのかもしれません。

多分ですけど、経営者やリーダータイプでエネルギッシュに活動してる人は夏が一番落ち着くし、慎み深く静かで一人の時間に浸るのが好きな人は冬が一番落ち着くんじゃないかな。


いまは地球温暖化の影響か、気候の変動が激しくなってあんまり秋らしい秋が体験できませんが、それでも9月あたりから徐々に朝や夕方の空気の感触や匂い、肌を撫でる風の涼やかさ、雲の感じや動きなんかが秋めいてきて、「ああ、秋だなあ…」としみじみ思って嬉しくなっていました。

街を歩いていても、コンクリートジャングルの中にあるちょっとした茂みの中から虫たちの声や合唱が聴こえたり、木々が実をつけて少しずつ熟れていく様が見られたり、身近なところでも意識して見れば意外と秋って転がってるんですよね。

人間が如何に季節感をなくそうと、そんなことはおかまいなく、自然や生き物たちは立派に秋のリズムを刻んでいるんだなぁ、と。

童謡ではありませんが、小さな秋を見つけるのがこの秋の密かな趣味みたくなってました(笑)


…というような話を「今年は秋なんてほとんどなかった」と言っていた前の会社の後輩たちにしてみたら、「朝会社に行って夜帰るだけの生活してるから、そういうことは考えもしなかった」とか言われました。
「そういう話を聞くと、なんか凄い人生損しているなあって気分になる」とも^^;

確かに自分も意識してこういう風に外の世界を感じるようになったのはここ数ヵ月ぐらいのことだし、会社勤めをしてた頃は街の飾り付けの変化などで季節の移り変わりを見ることはあっても、自然や生き物たちの変化を感じることはほとんどなかったなあ…と、それを聞いてしみじみと思いました。
だからこころが潤いをどんどん失って、最後には病気という形にまで結実したのかもしれないなあ、とも。

実際、いまのストレスフルな社会では色々なものを感じないように感覚をうちに閉じて生活せざるを得ないところがありますからね。


この、季節を感じる感性だけでなく、色々なものを感じる感性やこころの余裕がなくなっているところに、いまの社会や人々が抱える大きな問題の1つがあるような気はします。

これはとりもなおさず、人が世界と繋がれなくなった、ということを示しているわけで、その事実が示すものは非常に大きいのではないか、と。

なにせ人は何万年もの間(生物としての連なりで見たら何億年もの間)、自然のリズムをからだに取り込みながら生きてきたわけで、人間を人間たらしめていた大事な何かが、そのなかには存在してもおかしくないと思うのです。

人のこころの成り立ちやその動きにも関係していないはずはありません。

ここ数百年ぐらいで激しく社会や生活が変わり、人間が自然から切り離されたリズムで生活できるようになりましたが、数万年かけて培った人間の基礎にある自然のリズムやそこから派生してきたこころとからだの仕組みが、短期間で変化することはそうそうないのではないかと思うのです。

頭の中の知識や常識や価値観や概念は凄い早さで変化し発展し適応していきますが、生体としての人間のこころとからだは幾世代も経ないと変化をしていかないので、その早さについていけてない。
そんな壁にぶち当たっているような気がします。


そういう意味で、いまは人間が新たに獲得した生活様式と、もともと持っていた生体としての仕組みが折り合わず、きしんでいる時代であると言えるかもしれません。

このまま生体の仕組みを無理矢理人間の社会の方式に合わせていく道をとるか、社会や生活の方式をもう少し生体の仕組みに合うものに変えていく道をとるか。
いまの人のこころの問題を見るに、その分岐点に差し掛かっている感じもひしひしとしてきます。

前者をとれば人は千から万年単位の年月をかけて、多くの犠牲と苦しみと落伍者の果てに少しずつ、自然から切り離された環境に適応した生体(こころとからだ)を持つ人間を産み出していくでしょう。

あるいはもっと手っ取り早く、生体を捨てて、脳の中の情報のみで生きる道を選択するかもしれません。(SFの未来像によくありますよね。つか、いまの社会の流れはこちらに向かって進んでいるような気がしてならないのは気のせいかしら?^^;)

どちらにしてもそれは多分、いまの私たちからしてみたらまったく異質な精神と身体の構造を持つ存在に変化していることは想像に難くありません。
(だって、いまの人間のこころの在りようを規定するからだのメカニズムが脱自然の方向へ変化する以上、祖の上に成り立つ精神が今と同じになるというのは明らかに変でしょう?)

想像の翼を広げてみるに、いまの社会で非人間的と言われているこころの在りようがベースとなって発展した精神が生まれてくるのではないかと思ったりもするわけです。
いや、だって、人間らしいこころを封印してしまった方が、いまの社会って明らかに生きやすくないですか?
それをベースにますます脱自然へと発展させていくとしたら、ほら…^^;


…まあ、本当にそうなるかどうかは分かりませんが、このあたり、凄くそそられるテーマなので、なんとなく思索を深めて物語にしてみたいような気がします。
なんというか、もの書きの血が騒ぐ(笑)


つか、秋が好きって話からなんでこんなネタに話が発展したんだっけ?^^;

まあ色々つらつらと考えてみた秋の夜長でした。

ではまた!

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