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うつを修めるためのプレリュード [うつが教えてくれたもの]

無事に今年2度目の更新です。こんちには^^

とりあえず最初は無理しない程度に、週に1回ぐらいは更新しようと思ってます。

ここ2年ほど何も書いてこなかった分、書きたいことはたくさんあるのですが、逆にたくさんありすぎてどれから手をつけていいか途方に暮れるという…^^;

とはいえ、blogを再開するにあたっては、まず何よりも今や自分の人生の一部であり、この先も間違いなく自分の人生の一部であり続ける「うつ」について触れなきゃ始まりません。

症状の軽い重いの変動はありましたが、早いもので、もうかれこれ人生の4分の1もこの病気と共生してることになるんですよね。ほんと、そう考えると長い長い。

とはいえ「共生」しはじめたと言えるのはつい最近で、この期間のうちのほとんどは戦っていたに等しかったですけどね^^;

戦っている間は折り合いがつくことなどついぞありませんでしたが、この病気と一生向き合っていくという覚悟ができた今では、自然と自分の中で折り合いをつけることができるようになりました。
そうすると不思議なことに、うつの症状が出ている状況でもあまり気にならなくなってくるんですよね。

当然思考や感情やこの世界を見る目に偏光フィルターがかかり、活力を根こそぎ吸われるという身体症状も出て苦しいことは苦しいのですが、なんか思考の片隅で、「あ、いまうつの症状が出ている」と客観的に感じている自分が存在するようになった感じで。
うつの猛威になすすべなくただただ翻弄されていた頃と比べると、まさに月とすっぽんです。

そして自分のうつの状態を客観的に見られるようになると、心なしかその状態を楽しむ自分も出てきているような気がしたり。
いや、こんな最悪の精神状態を楽しめるなんて、ほんと、人間の心の奇妙さ複雑さは不思議なものだと思います^^;

いま振り返ってみても最悪の精神崩壊状態にあった頃の体験はもう二度としたくはありませんが、その経験で識り得た世界は、非常に大きなものを私に遺してくれたと思います。
きっとそれが、私の心のキャパシティを広げることにも繋がっているんでしょうね。
ほら、本当に最悪の時を知ってしまえば、今度はそれが評価の尺度になりますから。

あの頃に比べれば、いま私の中で共生しているうつなど、それこそ愛でられるぐらいに可愛いものです。


いや、ほんとに(笑)



年始めの投稿でも書いた通り、今後、しばらくは自分のうつ体験を振り返りながら、少し「うつ」という病気のあれこれを考察していこうと考えてます。

「うつ」のリアル、その視点から見た世界、うつの中で考えたこと、現代という社会の中におけるうつの持つ意味・・・などなど、徒然なるままに思ったこと考えたこと学んだことを書き連ねていこうと思っていますので、よろしければお付き合いくださいませ。

とはいえ注意しなければいけないのは、「うつ」という病気は100人いれば100通りの病態を見せるということ。
うつへの耐性に個人差や環境差があるように、「うつ」という病気の原因も経過も症状も、そして治り方やそのキーとなるものに至るまで、個人個人がこれまでの人生で背負ってきた様々な経験の積み重ねから導かれる、一つとして同じものはない個人的なエピソードを持つということです。

身体症状や現れてくる精神状態が似通っており、メカニズムもある種共通しているため、同じ病気としてまとめられていますが、実はその人の「個人史」を背負った複雑な要因の絡む千差万別な病気なのだと、自分自身が実際に体験してみて、そしてまた自分の周囲のうつの人と触れ合ってみて、これ以上無いくらい実感しています。

非常におおざっぱに言ってしまえば、30代の働き盛りのうつと仕事をリタイアした60代のうつ、更年期のうつや、思春期のうつ、老年期のうつなどなど、ライフサイクルのどの段階でうつを患うか、どのような背景の元で患ったか、どんな育ちであったのか、どんな遺伝的性質があるか、どのような思考様式を持っているか(思考や感情、反応への脳回路の癖)などによって全く違った様相を見せるし、治し方も治り方も直面しなければいけないテーマも全く異なるものである、ということでしょうか。


こと後天的な精神の分野の問題は、心理的な負荷が脳のハードウェア的な側面の不具合を誘発し、その不具合が症状を作り出し、脳のソフトウェア的な側面が症状に対する心理反応(=病態)となって現れ、それがまたフィードバック回路を構成して心理的な負荷を増やし、ハードウェア的な不具合を固定していく・・・といったループをなしているような気がします。

なので脳のハードウェア的な側面(要するに構造や機能)は生物として共通であっても、その上を走るソフトウェア的な側面(どのような思考や感情の回路が強化されているか)の違いによって心理反応やフィードバックの仕方、ひいては治すためにフォーカスしなければいけない部分も異なってくるのは当然と言えば当然なのでしょう。

まあ、厳密に言えば脳のハードウェア的な側面も生物の発達段階によって変化をしていますから、それも違いを引き起こす原因ではあるのでしょうけどね(性差や年齢によるうつの違いはおそらくここに大きく起因しているのだと思います)。


つまり何が言いたいかというと、これを前提として理解しておかないと、ある特殊な個人史の元にある病態にすぎないものを、容易に普遍化(全く違った個人史を背負った人にも適応できるもの)してしまう危険があるということです。

これからこのブログで書いていくものはあくまで私の個人的なうつ病エピソードに対する考察にすぎないし、一部一般化したり非常に似通ったカテゴリ内に適応できるものはあるとしても、それは慎重に見極めていかなければいけない、ということを、筆者である私も読んで下さる皆さんも絶対に忘れてはいけないのです。


自分自身、ともすれば個人的な体験にすぎないものを一般化して語ってしまう傾向があることは確かなので、それを戒める意味でも、この事はまず書いておきたいと思います。
#ので、読む皆さんも常に注意しておいてください^^;


ということで、今回はこの辺で。
次からはより深くうつの世界に足を踏み入れていきたいと思います。
タグ:うつ病
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