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荒涼感 [ことのは]

今日は過去のノートから言葉を1つ。
奈落の底に落ち続けていた時に綴った、生の言葉です。

〈hr〉

この胸の奥の寂莫とした光景

失ってしまったものはなんだろう

もう取り戻せないものはなんだろう

この先生きていたとして

もう二度と

心から笑える日が来るとは思えないのは

私の人生のピースから

何が喪われてしまったためだろう

いや、もともとそれは幻想で

私の人生ははじめからカラッポだったのかもしれないけど

アンバランス [ことのは]

まだ世界に光が充ちていたあの頃

無邪気にそして傲慢に自分の完全さを確信していた私はもういない

うつという大波が私の全てを押し流し

崩壊させてしまったから


廃墟と化した心のなかで少しずつ私を再興し

ようやく自分らしきものを取り戻すまでに回復したいまでも

未だに僕は不完全で

恐ろしいまでに不完全さにまみれている


でも昔と違うことがひとつある

いまは不思議と

その不完全さが愛おしい


限りない不完全さにまみれているのが人間で

その不完全さの中で揺れ動くのが

人生だと思うから


少しでも心地の良い調和のとれた状態を目指しながら

不完全さの中でバランスをとっていくのが

人間なのだと思うから


自分も他人も誰一人の例外もなく

誰もがおしなべて不完全


そのことを受け容れられた時

少し世界が優しくなった


不完全さに少し寛容になれる自分がいた


いまでも大きく揺れ動き

時にはこのことを忘れてしまうことすらあるけれど

そんな不完全さにまみれた魂を

いまはこの上なく愛してる

未熟であるということ [ことのは]

未熟である時は自分の未熟さが分からない



細かな機微を表現する言葉を知らなければ

細かな違いを無視して大雑把に括った表現をするしかないように

そして

その違いを無視することが

当たり前だと認識しているように


未熟であるうちはその未熟さか当たり前すぎて

何が問題になるのかが分からない

未熟な事実が見えていない



熟するというのは世界が広がるということ

今まで見てはいても見えてはいなかった様々なことを

きちんと見つめることのできる新たな視点を獲得するということ


井の中の蛙が井戸を出た時

今まで想像だにしていなかった広大な世界を目にするように

文字通り世界ががらりと変わり

見えるものもものの見方も認識も

何もかもが一新する


その広大な新しい世界を知ってから元いた世界を見てみると

如何に自分が小さな世界の物差しで物事を見ていたか分かって恥ずかしくなる


きっとそれが少し成長したということ

未熟が少し成熟に近づいていくということ



熟するためには

いつでも他の世界の風に触れることが必要になる

自分の狭い世界しか見ていないうちは

自分の外など決して見えてはこないのだから

自分が全てと思っている世界が

自分の見ている現実が

自分の価値観や判断基準そのものが

もしかしたら狭い世界に囚われてしまっているのではないかと疑って

自分の物差しを少し手放して他の人の見ている世界に目を向けてみる

その先にしか

未熟の殻は見えてこない



それがわかる程度には

未熟の階段を上れたということなのなら

この数年の絶望の日々も

大いに意味があったのだろう


いまは素直にそう思える

生き方の選択 [ことのは]

自分の心が納得できる

生き方を選べているのなら

それがどのような生き方でも

その人は幸せに充ちている


逆に自分をごまかしながら

しょうがないと諦めながら

納得できない日々に身を投じているのなら

それが世間的にはどれほど恵まれた

成功だと目されるような生き方に見えていたとしても

その人は不幸な人生のただ中を生きている


画一的な生き方しか存在せず

未来が狭まっているように思えるこの世のなかで

ともすれば忘れがちになる当たり前のこと

「生き方は人の数だけ存在する」


納得できる自分の生き方を作っていく

その途上に僕はいる

満たされないのは [ことのは]

満たされないのは

心が成熟していないからーー

最近そんなことをよく感じる

例え現実が

全て思い通りに変わっても

自分の理想通りになったとしても

その中でそれを

感じ

味わい

受け容れ

繋ぐ

そんな素地がきちんと育ってないなら

心はやっぱり満たされない

心の餓えは消えはしない

自分の底にある言葉 [ことのは]

自分が粉々に砕けてから

はじめて自分が虚ろであったことに気が付いた

自分のものだと信じて疑わなかった

言葉も思想も信条も

ほとんど何かの借り物で

私という虚飾が剥がれたいま

根のないものは無慈悲に共に砕け散る

残るは虚ろな私の中身

私は本当は

何を感じているのだろう

私は本当は

何を言うことが出来るだろう

そんな自分の心に根を張った

真実の言葉を探してる

自分の言葉を育ててる

一歩進んで [ことのは]

一歩進んで瓦解する

谷から抜ければ別の自分

何かを積み上げるにはおおよそ不適合な毎日で

それでも暗い谷底を抜ける度

少しずつ見える景色は変わっていく

瓦解した何かの塵あくた

足元にいつの間にか降り積もるそれが

視点を知らずにずらしてく

あるかないか分からないほど小さな小さな積み重ね

同じところで足踏みしているような徒労感に満ちた毎日で

じれったいほど少しずつ

ゆっくり何かは変わってく

日常を生きるとはなんて難しいものだろう [ことのは]

一生懸命ただ生きる

たったそれだけのことを

僕はたやすく見失う

日常を生きるとは

なんて難しいものだろう

闇が照らす光 [ことのは]

シャワーを浴びている最中にふと降りてきた言葉。
たぶんとても大切なこと。
忘れないようにメモします。


闇が照らす光


闇があるから、光が際立つ

苦しみがあるから、喜びが際立つ

深い闇から抜け出た者は光の美しさに目を細めることができ

深い絶望から生還した者はいまそこにある喜びを感じることができる

闇に慣れた目には小さな光の煌めきが映えるようになるように

苦しみを知った心は小さな喜びを深く見つめることができるようになる

光の中では気付けない小さな光の表情の変化は、そこに闇があるからこそ初めて見える

普段見過ごしている小さな小さな喜びは、それが当たり前でない世界を知ったからこそ現れる

闇は光を豊かにする

苦しみは喜びを豊かにする
この世は光と闇がお互い照らしあってできている


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死ぬことすらできない自分は [ことのは]

公私ともにいろいろどたばたして、前回から少し間が空いてしまいました。
どうも本格的にうつの解剖考察を進めていくための心の余裕も時間的な余裕もまだなさそうなので、今回は過去のノートから、生の声を届けてみます。

うつを体験したことのある人なら多くの人が多かれ少なかれ身に覚えがあると思いますが、うつの猛威に晒されて深い精神の闇の中で苦しみもがいている時、「死」という考えを弄ぶことが多々あります。
未来に希望を全く見いだせず、この苦しみが永遠に続くようにしか思えなくなっている時、そこから解放され、楽になるための「死」という解決策を求めるのです。
一度その考えに取り憑かれてしまうと、常に頭のどこかにその事がへばり付き、救いとしての「死」に身を浸す自分を何度も何度も夢見ます。

ただ、そうは思ってもうつの深淵で苦しみもがいている時は、エネルギーは枯渇し、身体は動かず、救いである「死」を実行することすらできません。
むしろうつで本当に自殺の危険が高いのは少し良くなってうつの深淵から頭を出すことが出来た時、行動することができるようになってきた時だったりします(これは臨床医学的にも良く知られている事実です)。
「自殺」というのは「他殺」と同じく、実はとてつもないエネルギーがいる訳です。

なぜ「死」にあれほど魅力と救いを見いだすようになってしまうのか、なぜそれを実行できないのか、なぜ未来というものに希望を持てなくなってしまうのか、等々についてはまたそれぞれ深く掘り下げていこうと思いますが、とりあえずここでは常に「死」という考えを頭に抱きつつ、絶望にまみれているしかなかった日々に綴った、一篇の詩をご紹介したいと思います。
(正確にはほんの少し状態が良くなり言葉という概念を操ることができるようになった時に、その時の自分を表現した詩になります。うつの深淵にあっては言葉や思考というのはまず初めに奪われて自由にならなくなりますので。言霊使いとして言葉で表現することにアイデンティティの一部がある自分はまたそれがショックだったりしましたが、それはまた別の話^^;)




死ぬことすら出来ない自分は


死ぬということは難しい

特にある種の人にとっては

死を実行するというのは想像を絶するほど困難だ


心はいつも死へとむかっているというのに

生きていても何一つ意味は無いと思い詰めてしまうほどに絶望の中に囚われているというのに

最後の一線を越えられない


頭の中ではもう何回も何十回も何百回も

何千回、何万回、何億回に至るまで

自分を殺すことを繰り返してきたというのに

死んだ後、それを処理する家族の顔や多くの人にかける迷惑事

そして何より後に遺る見られたくない自らの恥部が頭の中を駆け巡り

ただでさえ枯渇している気力を萎えさせる


実行した瞬間の痛みや苦しみへの恐怖や

万が一死にきれなかった場合に訪れるだろうより一層の地獄を想像しては

何回も何十回も何百回も何千回も

何万、何億、何京回に至るまで

自分を本当に殺めることに踏み出せない


死ぬことができる人は幸いだ

この現実のくびきから自由になることができるから

絶望の中にあってなお、死に踏み出せるだけの「強さ」を持っている人は素晴らしい

「死」を選ぶことで自分を解放することができるから


横になって天井を見つめたまままんじりともせず

死ぬことも生きることもできずに苦しみ日々を浪費し続ける私は

いったいどうすればいいのだろう――

いったいどうしたらいいのだろう――


タグ:うつ病 自殺
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